南フランスでの生活~美食の町Lyonへの小旅行①~
こんばんは!
Dr. SSLです。
今回は先月訪れた街、Lyonについての記事です。
色々と迷ったのですが、今回は「観る」をテーマにして、
次の記事で「食べる」をテーマにしようと思います。
さてLyonという街についてですが、位置としてはフランスの南北でいうと真ん中、東西でいうとやや東あたりに位置する街で、「フランス第2の都市」、「美食の街」とも言われている場所です。
実はひょんなことで知り合った何人かの友人がこの街に住んでいるそうでしたので、
この機会にと案内をしてもらうことになりました。
私の住む街Aix-en-provenceから高速鉄道TGVに乗っておよそ2時間。
記念すべきフランス初めての小旅行。
今回はリヨンの街並みを写真を使ってお伝えしようと思います。
Lyonの街自体はそれほど広くはないので、1日あればめぼしいところは周ることができると思います。有名大学があり、学生が多い街でもあるため治安もそれほど悪くはありません。機会があればぜひ!
次はLyonの「食」を紹介できればと思います。
それではまた。
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自分の欲に屈しない筋トレ法
おはようございます!
Dr. SSLです。
最近私は「みんなで筋肉体操」というNHKの番組を利用して筋トレをするのにハマっております。
一枠5分程度なので毎日続けやすく、何より進行役の先生が熱いのでモチベーションを保つことができます笑。
私の場合は腹筋の回と腕立て伏せの回を交互に毎日youtubeで見て、筋トレを行っていますよ!
さて筋トレということで、今回はタイトルにもあるように高校の頃に自分で編み出した「自分の欲に屈しない筋トレ法」についてご紹介いたします。
筋トレでは自分をいかに追い込むかが重要とよく言われます。
例えば腕立て伏せだったら限界が来たかなと思ってから何回出来るか、
その"何回"が初めて筋トレとなるのだと。
でもただでさえ続けるのが中々難しい筋トレ、そんな心の余裕なんてないですよね。
自分の欲に屈して妥協してしまう方も多いのではないでしょうか?
そこで私が良くやっているのは、
筋トレ時に「自分に絶望の未来を見せること」です。
何のことか言葉面では分り辛いので例を。
例えば自分なら、筋トレをしていて辛くなってきたタイミングで「もしあと〇回できなかったら自分は人生で特に何も成し遂げられずに終わる」と頭の中で唱えます。
ここで重要なのは身近なことではなく、一見今と全く関係の無さそうな未来を考えることです。身近なことだったら容易く「どうせそんなこと起こりはしない」というリアルな根拠に基づく妥協の心が芽生えます。
そして、もう一つ重要なのは自分にとっての絶望をよりリアルに想像すること。ここのクオリティを上げていくと、ただの筋トレでも、自分にとって最重要なことのように思えてきます。想像力は自分の欲をも支配できるのです。
私は今までずっとこの方法で筋トレを行ってきました。
筋トレだけでなく、何かに対して努力するときも。
自分を自分で追い込む癖をつけるなんて哀れだと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、好奇心に加えいざという時に自分を追い込める、ブレても復帰できる能力が物事の達成には必要なのだと私は日ごろの生活から感じ取っております。
ちょっと話が大きくなりましたが、自分の気持ちに負けて筋トレを続けられない、ダイエットを続けられない、何も続けられないという方。
是非一度試してみてください。
それではまた。
南フランスでの生活~ただただ気に入った写真を載せる~
こんばんは!
Dr. SSLです。
本日はタイトルにもあるように、フランスに来てからとった写真の内お気に入りのものをただただ貼っていきます。
それだけです。
ブログって別に文章を書くだけではないんだなと逃げ道を作った結果がこれです。
写真にキャプションを入れていくスタイル。やってみて結構楽しかったので今後もこういう感じのをたまにやっていくと思います。
写真の中で言及したイベントについては後日別に記事を書きます。
それではまた!
SF的妄言~人類の使用期限~
こんばんは。
Dr. SSLです。
一昨日昨日と続けてインターンについての割と実用的で真面目な記事を書きましたが、
本日はそれらとは全く異なるタイプの話を。
私は普段からジャンルを問わず様々なことを考えるのが好きです。
所謂厨二病気と一言で片づけられてしまいそうな「自分がもし魔法を使えたら?」ということから、自身の研究の事、自分の存在について、今から2世代後に来るの世界の事、代用品としての昆虫の利用方法や日本語特有の擬音表現等々。
殆どが想像ではなく全く役にも立たない妄想なのですが、
今回はその例を一つご紹介しようと思います。
最初にお断りしますが、冗談だと思って軽く流してください笑。
さて本題に入りますが、皆さんは最近の技術の発展についてどのようにお考えですか?この質問では切り口の角度が連続的かつ趣旨が曖昧過ぎるので的を絞ります。
「情報科学の発展は人間をさらなる発展へ導くと思いますか?」
情報科学の発展の代表例としては数年前から急激に注目を集めている人工知能(AI)関係の技術が有名ですね。AIというものが未だこれほどまでに注目を浴びる前から、シンギュラリティ(技術的特異点)というものの存在について議論はされてきました。最近ではテレビや雑誌などのメディアでも良く取り上げられるのでご存知の方も多いと思います。情報技術の発展により、機械が人間を追い抜いていく日が来るかといった話です。解釈としては色々ありますが、多くの定義は現在は人間が入力を入れなければ出力をしない人工物が、人間の入力と結び付けられない生産を繰り返す日は来るのかといった感じです。
こんなことは本当に起こるのでしょうか?
多くの科学者はこの件について、少なくとも人間とそれが生み出したものの立場が逆転するといったことは原理上考えること自体がナンセンスであると。
ここからが私の妄想。
そもそも人間と人工物、特に情報技術というものは本当に上下関係のみで語ることができるのでしょうか?
私は思いました。それらは上下の立場に合って逆転がどうとか議論するものではなく、連続的な通過点に過ぎないと。
宇宙誕生時のエネルギーの放出、分子という枠組みの誕生、星、惑星系の誕生、未だ地球外生命体は発見されていない(?)ですが生命の誕生、さらなる生命同士の複雑な相互作用から生み出される社会、技術の創造...。これらは全て、ある環境条件がそろったとき、Goldilocksの原理に従いそれまでの平衡点が次のさらに系にとって最適な平衡点へと到達するといったことの繰り返しであるという話があります。これは私が修士学生の頃生命科学の講義の一部を担当していた時に、メインの外国人講師の方から教えてもらった話で、大変興味深いものでした。
ここでいう"最適"というのはこの世界が始まってから終わりがあるというのが前提であるとき、エントロピー的に最適であることです。エントロピーと言う言葉は中々聞きなれない言葉ですが、一般的には「ばらばらさ加減」を表す示量性(系の大きさに比例するかどうか)のパラメータです。この世界はエントロピー、つまり「ばらばらさ加減」が増えていく方向に進んでいる、この法則はエントロピー増大の法則と呼ばれています。
あまりにも直観的すぎる解釈ですが、Goldilocksの原理に従って系の平衡点が移り行くさまは、複雑さが増していく方向であるという事に相当するとも考えられるかもしれません。
実はこのエントロピー、物理界隈だけでなく、情報科学のフィールドでもよく使われます。これはエントロピーというものの定義上、それは現在の情報科学を構成する「場合の数」と密接な関係があるからです。元々は統計学と深いかかわりを持つ熱力学で定義された言葉なので、統計理論に基づいた情報理論で同じ言葉が定義でき、使用されるということは自然なことです。
実は物理におけるエントロピーと情報におけるエントロピーを同じ土俵で議論することもできて(専門書をご覧下さい)、それらは少なくとも我々が生きる実社会では交換可能なものだと思われます。
さてここまで考えてみた時、情報技術の発展とは何を意味しているのでしょうか?情報を操れるという単純な解釈の見方を少し変えると、より複雑な情報を生活に直接還元することができるという事になります。これだけ聞けば人間社会の発展こそが我々の反映とも聞こえます。が、人間が自らを存在せしめるためにエネルギーを必要とすることも忘れてはいけません。情報技術の発展による我々の生活の複雑化、つまりエントロピーの増大(この世界がGoldilocksの原理に従う系の単位による集合と考えた場合)が実現される。エントロピーが増大するということは、我々が自由に、秩序正しく使えるエネルギー減少しているとも見ることができます。これは熱力学でいうヘルムホルツの自由エネルギーというものに相当します。こちらの観点から見れば、自由エネルギーは減る方向に世界は向かうということになりますね。
実際我々がエネルギーを大切にだとか新エネルギーを作り出そうだそうといったことは、如何にして自由エネルギーにアクセスできるかを頑張っているという話なんですね。先ほどの話を考えてみると、この点は自然を守るという看板の元に行われる努力にも拘らず、もっと根底にある自然に逆らう動きとも見えます。実はこの点自体も自然法則に従っているとも考えることができて、それはまるでIHヒーターに見る電磁誘導のようで、現在の平衡点に戻そうとする力が働いているとも。
そう考えてみると、前にGoldilocksの原理に従って系の平衡点が動くと述べましたが、我々の努力は実は平衡点の移動の兆しを示しているのかもしれません。我々は知らず知らずのうちに人間、生命基準で過去も未来も考えてしまいがちですが、実はそれらは系の平衡点の軌跡上にある一点一点に過ぎない。世界が秩序を嫌う方向に進むという法則に従っている以上、生活が情報に帰結され始めるということは当然であり、そういう意味では人工物、例えば人工知能を持つロボットが人間の次のステージに来るということもある意味自然の流れで、それは上下だとかそういった立場上の問題ではなく、点から点への移動として考えるべきなのかもしれません。例えば、今の人間は人工知能の開発を通して実世界をより概念的なものに変えていくためのツールとして存在しているのでは?となると、科学技術、情報技術の発展の先に人間を待つのは役割の終了...。
さてどうなるのでしょうか?
上手く説明ができているかは分かりませんが、以前にお話ししたアナロジーを乱用することにより、こんな感じで終末説ができあがります。結構この考えは好きで、科学技術を発展させる立場にある私は、このような妄想を膨らませて、自分のやっていることは終わりを待つ人類の、自然法則に従う自然への抗いの一部だと常に考えながら研究をしております。科学者としてはあるまじき考えであるとは思いますが。
全ては好奇心から。
それではまた。
国際研究機関でのインターン~2か月を振り返って②~
おはようございます。
Dr. SSLです。
昨日は国際研究機関へのインターンに来てから2か月どのような生活を送っているかをご紹介いたしました。
海外の企業へのインターンや留学に関する記事のようなものは沢山あるのですが、国際研究機関となるとまちまちになってきます。
私も本機関へ応募する際には色々と調べましたが、結局学会が発行する体験記のようなものがほとんどでした。
恐らく皆さんが気になるのは国際研究機関の雰囲気ってどうなの?って事無きがします。
そこで本日は職場の雰囲気について感じ取ったものを3つ記します。
1. 圧迫感がない
要するに「これを終わらせられなければ飛び降りろ」みたいなプレッシャーを感じることがないということです。
流石にそんなに酷いことを言う上司はパワハラでどうぞ退場という気もしますが、少なくとも大学で研究をしている私と似た立場の方はよくわかるのではないでしょうか?
勿論、核融合炉の建設を完了し最初の実験を行う年は決まっており、それまでの過程もある程度計画されているため、各ミッションの締め切りがないということではありません。
しかし、上司から特にあれこれ「これを間に合わせろ」等といったプレッシャーを与えられることはここでは稀なようです。
何故?というのは多数の文化が入り混じっている環境ですから一概に上司の国民性が等とは言うことはできませんが、やはり南ヨーロッパという場所の性質やお互いに国や文化も異なるから多少は考えてやろうと言ったものなような気がします。
2. 休みをとるのが当たり前
私はインターンの立場ではありますが、それでも月2回の有給のようなものが与えられています。おそらく正規職員も同じ。
しかしながら私は未だ、諸事情によりパリに行かなければならなった一回を除いて休暇をとっていません。
するとびっくり、同じ部屋の職員の方々より「なんで休まないんだ?もったいないじゃないか?」といわれる始末。
私としては仕事が楽しいということもあり単純に休みをとろうと思っていなかっただけなのですが、どうやらこの現状が異端視される模様。
職員の方々に効いてみると、皆さんは月ごとに有給を消費していくということはあまり考えないようですが、2週間、3週間とまとめて休みを取り、少なくとも休みは確実にとるとのこと。
休みを取ってよいと言われてから、「休みをとろうか」等とすぐに考えられないのがインペルダウンに収監される院生の末路なのでしょうか。休みをとるためにストレスを感じてしまいそうです...。
3. 意思疎通が大変
私がここに来て最も強く感じた事の一つなのですが、異国間の意思疎通はやはり難しいものなのだと。この点からは言語による問題と国民性の問題と二つの側面が見えます。
本機関での公用語は英語になりますが、英語というものは話す人の母語によって本当に変化する生き物なんですよね...。私の立場での印象としては、ヨーロッパの国々の母語は英語の限流に近いものがほとんどのため、そのような国を母国とする人は母語の方言のごとく英語を話してきます。アクセントだけならばまだよいのですが'(実際はここだけでもかなり厳しい)、母語の単語をそのまま引っ張ってくる人もいます。当然ながら、日本人の英語のアクセントはそのような中でも一際聞き取り辛いものになっている用なのですが、他の国の人たちと違いゆっくりと話す方が多いので、何とかその点でもっているようです(同僚の中国人職員談)。このような言語の問題は、特にミーティングなどで問題になってきます。内容の同じ英語を話しているはずなのに、翻訳機付きの母語を飛ばしまくる会議なのかと思ってしまうこともありました。言葉が聞き取り辛いということは議論した内容の理解度も薄れてしまう。職員の方でもこの点に慣れない方が多いそうです。
もう一つは国民性によるもの。これはルーズかそうでないかといった単純な話です。個人差もあるため100%とは言えないですが、ある国の人は非常に几帳面で計画に従順、とある国の方に予定を把握して貰うこと自体が困難といったような傾向は意識しなくても見えてきます。ただでさえ言語の問題もあるというのに、こんなことまで起こってしまってはストレスを感じたくもないのに感じざるを得ない状況になってきてしまいますよね...。でもこれが慣れてしまうんです笑。最初のころは「あれ?あの事先週も言ったし昨日も言ったけど本当にやっておいてくれるの?」という具合でしたが、現在ではすっかり環境に浸透し、「ああ、あと2回くらいだから2週間先かそこいらくらいにはやっておいてくれるだろう。」といった考えの傾向に変わってきております。まだ職場内でであれば許容はできますが、機関を通した各国とのやり取りを遠隔的に行うといった場面では流石に不味いのではと感じる事もあります。核融合炉を建設するために、その構成機器を世界の各国で分担して手配を進めているのですが、ミーティング等の場で「あの国の仕事が遅い」だとか「あの国の会社の言っていたことが違う」とかそういった話をちらほらと聞きます。何度も建設予定が延期されている背景には、この意思疎通の件も要因の一つとなっているのかもしれません。
以上が職場の印象をざっと書いたものになります。
これらの特長は今インターンを行っているところに限る話なのかな?とも思ったのですが、他の某国際原子力機関や某加速器研究機関等で働いた経験のある方曰く、大体どこも似たような感じで、あとは全体的に意識が高い雰囲気があるか位だと聞きました。
自分の肌には非常にあった雰囲気ではありますが、良い面と悪い面が混在するがゆえに、まだ決断をできない自分ではあります...。
それではまた!
国際研究機関でのインターン~2か月を振り返って~
おはようございます。
Dr. SSLです。
以前に国際研究機関への応募についての記事を書きました。
現在私は、国際熱核融合炉ITERの建設サイトでのインターンのために、フランスに来ております。日本を発ってからはや2か月。
来る前は不安で不安で仕方がなかった。しかしいざ始まってみれば毎日が非常に楽しくて、もう2か月経ってしまったのか...と思う次第です。
さて本日はこの2か月を振り返って、どんな生活パターンで過ごしているか?、ついて書こうと思います。
平日。
私がインターンで来ている機関のサイトは朝7:30-夜20:00までがオープンとなっております。しかしながら、大半の方が通勤用の専用のシャトルバスを使用しなければならず、シャトルバスの出発時刻が朝7:30と夕方17:45と限られてしまうため、実質ほとんどの方は朝8:30からお昼を挟んで夕方17:30まで働くといった生活をしております。
もちろん私もその一人。
朝6:30に起きてアパートを朝7:25に出る→8:30サイト到着、始業→17:30勤務終了Go homeといった感じです。めちゃくちゃ規則正しい生活ですね!笑
時間に制約があるため、勤務時間内は全力で走り切ります。
それゆえか、当初提示されていた予定の二倍の速度でミッションを完了できております。
家に帰ってからはたっぷりと自由時間がある。日本で研究していたころは、夜遅くまで残ろうと思えば残ることができたため、意識しなくとも研究以外のことに費やす自由時間というものはあまり確保できていませんでした。
しかしながら今はその真逆。今までやりたかったことがすべてできます。
Python, 機械学習, 場の量子論, 超伝導の理論, フランス語, スペイン語, 英語, 筋肉体操等々...もちろんブログやTwitterも!。
今まで相当時間を無駄にしてきた...いや研究に充てていたので無駄ではないですが、自分の選択肢を自分で潰していたなと。夜は2時頃に寝て4時間半後にまた起きて×5で平日は終了。
そして土日は片方は大学関係の業務や勉強の時間にあて、もう片方は小旅行、観光に費やします。
おいおいブログでも紹介しますが、南フランスには素晴らしい場所が沢山あります。
日本で生活していては中々転々とするということも難しいということで、観光も非常に頑張っております笑。機関の日本人職員の方が車でどこかに連れて行ってくださったり...なんて事も。
こんな感じで働くときは集中して全力投球、そして与えられた自分の時間を精一杯楽しむ。自分を摩耗せず生きることが出来ているなと。
海外の職場はみんなこんな感じなのかと思い色々な国の方に聞いてみましたが、世界各国から人が集まってくるとはいえ、やはり南仏という場所にあるからこそこのようなリラックスした雰囲気になっているようです。中国のプラズマ研で働いていた方は、もし実験なんてあろうもんなら一週間くらいほぼ徹夜と言っておりましたし、米microsoftで働いていた方は「こんな緩い場所があるのか」等と言っておりました。
各国が大金をはたいて動かしているプロジェクトであることを考えると、もう少し焦っても良いのかなとも思いますが、プレッシャーがかかりすぎて途中で放棄なんてこともあったらしょうがないですからね...。いやはやstrategistの方は大変そうです...。
それではまた!
類推(Analogy)を利用した現象の理解
おはようございます。
Dr. SSLです。
書きたいネタはあるが書く気が起きないという問題を解決すべく、
本日から短めの記事をなるべく毎日作っていこうと思います。
目安は"目次が必要ないくらい"と考えています。
Twitterの延長として消費する如く読んでいただければ良いかと思います。
さて、今回の記事のタイトルは「類推(Analogy)を利用した現象の捉え方」です。
現象。
物理現象, 社会現象, 心霊現象etc...色々あって、皆さんそれぞれがその理解を得意とするフィールドも異なると思います。バックグラウンドの多い分野なら良いですが、自分の分野とはあまり馴染みのない分野で扱う現象はどう捉えますか?
私が普段異分野の勉強をする際には、タイトルにもあるように、類推(Analogy)というものを利用します。
聞きなじみがあるかは分かりませんが、何のことはありません。
中学校の理科の教科書で見かける良い例があります。
「電気の流れ、すなわち電流を水の流れ、そして電池による電圧上昇をエレベータと考えよう。」
これが類推の使い方そのものです。
類推の定義はこちらですが、
言ってしまえば自分の知っている現象に当てはめて、別の現象を解釈しようとするといったようなものです。
実は物理の世界は基本法則が本質的に等価なものが多いです。
粒子の拡散、熱伝導、電荷の流れ、確率密度の流れ...。
近接的な表現で上記の法則を表すと、見事にそっくりな式が出てきます。
異なるのは余剰項や良く使われる"文字"(物理屋の人に怒られそうですが笑)。
全く異なる分野の現象を捉えようとしたとき、自分が良く知っている現象のメカニズムを当てはめて類推する。皆さんも良く自然に行っている認知過程ではないでしょうか?
私はもう少し違う使い方をすることがあります。
それは、ある分野では存在している現象と等価な現象が、別のフィールドでも存在できないかと考えることです。
例えば超伝導現象。
超伝導とは簡単に言うと、ある特殊な金属を特殊な環境においてやると、電気抵抗が0になり、磁場を嫌い始めるといった現象です。
電気抵抗が0ということは、水の流れでいうと液体の周りとの摩擦が無い状態。
実はこれに当てはまるものは超流動という現象があります。液体のヘリウムで観測することのできる現象です。
では物理現象を離れて、人間の集合で考えたらどうか?(ここからはジョークとして)
人と人のコミュニケーションを広義の摩擦と考えた時、例えば学閥の存在する企業就職。個人間というよりも前後の個人と第三者との相関。あたかも弊害がないかのように成功、そしてそのサイクルは続く。圧力を加えることで発現する超伝導現象と似ている...。
あまりにも複雑すぎて決して美しい表現ができるとは思えない、つまり基本法則があったとしてもその寄与が相対的に非常に小さく見える系に当てはめること自体がナンセンスかもしれませんが考えてみることは面白いです。
とある原子力関係の偉い方が「科学者は自分の土俵に引きずり込む技が武器だ」と。
専門により専門を超えるという考えには私は賛同いたします。
皆さんも是非、類推を敢えて意識して、核を固めつつ身を広げてみてはいかがでしょうか?
以上、類推(Analogy)の紹介となります。
ここまで脊髄で書き続けましたが、普段の私の話し方に凄くあっていてストレスフリーに記事をかけているので、こんな感じで今後も書いていこうと思います。
それではまた!